予防接種と無過失補償・免責制度

某所で書いたものです。
例によって、私が所属している団体の意見と全く同じ、というわけではありません。


予防接種と無過失補償・免責制度 日本の予防接種裁判の歴史から

はじめに

このレポートでは日本の予防接種裁判の歴史を振り返りながら、日本で予防接種行政が後ろ向きになった理由、ならびに日本でも予防接種の無過失補償および免責制度もしくはADR(Alternative Dispute Resolution, 裁判外紛争解決手続)がセットで必要な理由を説明する。

日本の予防接種裁判の歴史

予防接種コンセプトは「弱い病気を起こさせて抗体をつけ、それに似た恐ろしい病気を予防する」というものである。つまり、感染症には有効で、副反応はゼロというワクチンは今まで無かったし、今後も存在しないであろう。

予防接種には「するべきだったのしなかった」という「不作為過誤」と、「するべきでなかったのにしてしまった」という「作為過誤」が生じるが、この2つを同時に回避することはできない。つまり、「過誤回避のジレンマ」がある。逆に言えば、予防接種の歴史は副反応の歴史と、それに続く予防接種裁判の歴史でもある。

種痘は江戸時代から行われていたが、本格的な予防接種行政は第二次大戦から始まった。戦後日本での予防接種副反応の歴史は、手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ―予防接種行政の変遷』に詳しい(1)。この本では、戦後の予防接種の歴史を以下の3つに分けて解説している。

占領期から1960年前半(昭和30年台後半)

戦後まもなくの日本は、前述の通り公衆衛生が非常に劣悪だったため、GHQが作った予防接種政策は非常に強権的であったが、副反応はあまり注目されなかった。実際、1948年に起こった京都・島根ジフテリア予防接種事故は84名の死亡者が出たが、関係者が刑事的な責任を問われることは無かった。被害者遺族は国家賠償請求と言うかたちで損害賠償および責任追及を行おうとしたが、遺族会は最終的には10万円の弔慰金を払うことで集結した。事故は国家検定が絡んでいたにも関わらず製造業者の不祥事ということで、片付けられている。つまり、不作為過誤を重視するあまり強制接種・集団接種が行われ、作為過誤を軽視していたのである。

1960年後半(昭和30年台前半)

この頃になると衛生環境の改善や予防接種によって感染症もかなり減ってきたが、その分副反応が相対的に目立ってきた。天然痘自体が減り、ワクチンの副反応である脳炎(10~50万人に1人)などに注目が集まるようになった。
それでも当時は、副反応は避けられないものと考えられるようになった。行政の責任は、ワクチン自体の改善よりも被害者救済に向けられ、公的負担による被害者救済制度が始まる。これは被害者に届けられた厚生大臣の「お悔やみのことば」にも現れている。

お悔やみのことば
○○殿には予防接種を受けたことにより不幸にも昭和○年○月○日死去されました。
これは社会防衛のための尊い犠牲であり誠にお気の毒にたえません。
ここに衷心より哀悼の意を表します。
昭和○年○月○日
厚生大臣 ○○○○

しかし、副反応の存在を認めながらも、不作為過誤回避・強制接種・集団接種という、戦後予防接種制度は維持された。

1980年代後半から

副反応は避けられないものではなく、回避すべきものと再定義された時期である。予防接種や関連する裁判で、国側の敗訴が相次いだのである。1994年には予防接種法改正が行われ、勧奨接種・個別接種体制へ転換した。
予防接種に対してはいわば「国民任せ」となり、新しいワクチンの導入は見送られることとなった。

作為過誤は存在してはいけない、という考えの結果、不作為過誤はその後日本を悩ませていった。日本ではなかなか麻疹が減らず「日本は麻疹の輸出国」とまで言われた。日本の風疹流行のためアメリカで注意喚起が出て、先天性風疹症候群を避けるために渡航を諦めた女性もいたという。海外ではヒブワクチンや小児肺炎球菌ワクチンが定期接種として組み込まれる中、日本は認可されず子どもの間で細菌性髄膜炎が流行し、後遺症を負ったり命を落としたりする子どもは減らなかった。
多くのマスコミがワクチンについては消極的に報道していたこともあり、このワクチンギャップはなかなか改善していかなかった。(2)

不作為過誤の元になった判例など

東大ルンバール事件(最高裁昭和50年10月24日)

予防接種とは直接は関係ないが、最初に東大病院ルンバール事件を挙げる(3)。昭和30年9月,東大病院に化膿性髄膜炎で入院していた3歳児が,ルンバール(腰椎穿刺後)後にけいれんし,後遺障害を残した事例である。判決によると原因は脳出血であり、ルンバールと因果関係ありとされた。
判決文には「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は,通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうることを必要とし、かつそれで足りるものである.」とあり,疑わしいというだけで因果関係ありと断定するものであった。判断基準は専門家ではなく一般人であることを示したものであるが、「紛れ込み」を考慮していない。

小樽種痘後後遺障害事件(最高裁平成3年4月19日)

もう一つが1970年に提訴され「小樽種痘後後遺障害事件」の最高裁判決である(4)。種痘によって子どもが下半身麻痺と脳機能障害を負ったというものであるが、最高裁は特段の事情が無い限り被害者は禁忌者であったと推定すべきものとして、原判決を破棄したのである。これによって予防接種による禁忌者該当責任は、事実上国の側に転換されたと考えられた。そのため、「予防接種の実施主体が国なら、みんな勝てる」と受け止められるようになった。

東京高裁判決(東京高裁平成4年12月18日)

逆に言えば、小樽種痘後後遺症事件の判決では期間外接種・自費接種・勧奨接種などの接種は、接種医師の過失から国の責任は難しいものであった。それに対し、東京高裁は、接種医師の「実施上の過失」ではなく、厚生大臣の「施策上の過失」を認定することによって、ほぼ全員を救済する方法を選択した。(5)
裁判所は予診など集団接種運用の不備を指摘した。禁忌を識別するための必要な予診はある程度時間をかけて慎重に実施することが必要でると指摘したのである。
つまり、裁判所は「適切に処理すれば予防接種事故は避けられるもので、起きてしまった予防接種事故はすべて適切に処理されていなかったから起きた」という論理を取ったのである。言い換えれば、非回避とされた作為過誤が、司法を通して新たに、回避可能(回避すべきもの)として再定義されたのである。

白木4原則

白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年- 2004年)は神経病理学の専門家であるが、SMON、水俣病、ワクチンの健康被害などの解明に取り組んだ。ワクチンによる健康被害の反対基準として、「白木4原則」を発表した。

ワクチン接種と健康被害の因果関係判定基準
1.ワクチン接種と接種後の事故(疾病)が時間的、空間的に密接していること
2.疾病について、ワクチン接種以外の病因が考えられないこと
3.接種後の事故と後遺症が原則として質量的に強烈であること
4.事故発生のメカニズムが、実験、病理、臨床などの観点からみて、科学的、学問的に実証性や妥当性があること

現にある被害は動物実験のように条件づけできないので、あるがままの状態を受け取る経験科学ととらえ、4つの原則論の組み合わせによって蓋然性が60%以上の確率によりワクチン禍の存在を肯定すべきとし、これが全国の裁判所に受け入れられたのでした。(6)

これは東大ルンバール事件の判決と同様のロジックであり、やはり「紛れ込み」を鑑別できない。

紛れ込みと疫学の関係

これらの判例の問題は現在の目からみればいくつか存在する。未知の病気の可能性や「紛れ込み」について鑑別することはできないのである。脳炎・脳症は自然発生するものである。たとえばワクチンした直後に脳炎が自然発生した場合、東大病院ルンバール事件の判例や白木4原則を当てはめると、自動的にワクチンの副反応とされてしまう。

紛れ込みと思われる事例

以前三種混合ワクチン(DPTワクチン)接種後に脳炎を起こした場合、ワクチンが原因とされていた。しかし、その後、従来ワクチン後脳症と言われていた患者の殆どが乳幼児期に有熱時の遷延性発作を反復しやすい乳児重症ミオクロニーてんかん(ドラベ症候群)であると考えられている(7)。ワクチン後脳症とは違いドラベ症候群には、特化した治療が確立されており、早期の診断が必要である。ワクチンのせいにされて、治療が遅れてはならない。

2004年夏に, マウス脳由来日本脳炎ワクチンを接種した中学生がその後重篤な急性散在性脳脊髄炎(ADEM)を発症し, その後予防接種健康被害認定部会・認定分科会において日本脳炎ワクチンとADEM発症の因果関係が否定できないと認定された。その後2005年5月30日に日本脳炎ワクチン接種の積極的な勧奨を差し控えるよう各自治体へ通知している。
しかしながら、当時から製造されたマウス脳由来日本脳炎ワクチンにおいても, ADEMの原因物質候補とされるミエリン塩基性蛋白質の量は検出限界以下であった。日本脳炎ワクチンの接種率が低下した後も、ADEMを始めとする脳炎・脳症の減ったという報告はない(日本脳炎ワクチンの副反応と関連があるのであれば、減少するはずである)が、日本脳炎の感染例は続いた。
その後マウス脳成分の含まれていない新型ワクチン接種での定期接種が始まったが、接種後の死亡例として2例報告されている。これらの事例について, 厚生労働省の予防接種部会で議論されたが, 2例ともワクチンと死亡との因果関係は認められず, 原因不明または他の要因により死亡した可能性が高いと結論づけられた。(8)

疫学の欠如とその影響

これらの判例および白木4原則に共通しているのは、疫学の欠如である。
疫学とは、「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」と定義される。(9)

ワクチンを接種した群と接種しなかった群(もしくは偽薬;プラセボ)で比較し、本当に副反応と言われるものが増えたかを確認するのが、疫学であり、科学的態度と言える。

薗部友良は、真の副反応として以下の条件を満たすものを挙げている。(10)
1.ワクチンを受けた人だけに起こること
2.大人数の調査で,あるワクチン接種後のある病気の発生率が,その病気の自然発生率より有意に高いこと
3. ボランティアに本物のワクチンとプラセボを接種して,発熱などのある特定の症状・病気の発生率がワクチン群に有意に高いこと
4. もし真の副作用だとすると,その症状が接種してからある一定の時間に起こり,その後の経過なども一定の傾向が見られて,それらが医学常識と合うこと
5.普通では見つかるはずの無い部位(髄液や骨など)から生ワクチンのウイルスや細菌が見つかること

東京高裁の訴訟は「予防接種によって被害が生じた場合は禁忌であったのに接種してしまった」という疫学を軽視したアクロバティックなロジックであり、言わば被害者救済の意味があったのかもしれない。

免責制度の確立と正常な運営を

私はここで白木4原則や以前の判例が間違っていると言いたいのではない、ただ、本当に予防接種の副反応かを突き詰めるのは、珍しい事例ほど困難である。日本の小樽種痘禍事件は、判決が出るまでに22年かかっていることからわかるように日本の裁判は時間がかかるため、成長期にある子どもや保護者の負担を考えると、長期の裁判はそぐわないと思われる。
アメリカやフランスのように予防接種で無過失補償+免責制度をセットで設けている国もある。(11)裁判をかけるよりも、迅速に救済したほうがいいという、考えである。ここではアメリカの制度を説明する。(12)

一つは平時における補償制度(National Childhood Vaccine Injury Act, NCVIA)で、この補償を受ける訴訟を起こすか、自ら判断できるものである。
もう一つは公衆衛生上の非常事態と宣言された場合の制度で、製造会社などに対して、故意による不法行為などは除いて、あらゆる損害賠償について免責されるものである(Public Readiness and Emergency Preparedness Act, PREP Act)。現在のコロナワクチンもこちらの制度が使われている。

メリットとしては対応が迅速である。デメリットは、ワクチンの責任を明らかにしたい、という方には不服かもしれない。しかし、NCVIAの場合には無過失補償を受け取らない代わりに裁判を起こすことができる。

一方日本では免責制度について国民的議論はしてこなかった(新型インフルエンザワクチンおよび新型コロナウイルスワクチンは除く)。ワクチンの無過失補償制度はあるが、補償金を受け取った後も訴訟起こすことができる。無過失補償と裁判と2つとも選択できるので、うがった考えをすれば無過失補償で得たお金で訴訟をすることができるし、そのように指南する弁護士もいるかもしれない(もちろん、我が国でも被害救済制度で取得した給付分は、後の損害賠償請求が認められた場合に控除され、二重取りはできないことになっている(13))。

日本の戦後予防接種行政は、不作為過誤と作為過誤の2つで揺れ動いた「過誤回避のジレンマ」があった。1980年代後半の判決では、作為過誤は存在してはいけないというロジックのもと、不作為過誤は見過ごされてしまった。まさに「ジレンマ」である。

ところで「ジレンマ」を解決する交渉とは、不作為過誤を優先するか作為過誤を優先するかの分配型交渉であろう。それに対して無過失補償および免責制度もしくはADR(Alternative Dispute Resolution, 裁判外紛争解決手続)をセットで考える交渉は、統合型交渉である。
無過失補償であれば保護者は時間やお金を費やすことなく補償金を受け取る事ができ、免責制度もしくはADRがあれば製薬会社や国は手続きに沿って一定のお金を払えば予防接種の運営が続けられる。

予防接種そのものを潰したい、という団体以外にとっては、無過失補償と免責制度をセットで考えることはウィンウィンスタイルの解決法であると言える。

日本でも無過失補償と免責制度をセットで考えた統合型交渉を進める必要がある。ただし、日本では任意接種と定期接種とでは、健康被害が生じたときの救済制度は異なり値段も大幅な違いがある。(14)定期接種も任意接種も差が出ない、救済制度の拡充が求められる。

参考文献

1. 手塚 洋. 戦後行政の構造とディレンマ : 予防接種行政の変遷: 藤原書店; 2010.
2. 医学書院. 過去・現在・未来で読み解く,日本の予防接種制度(齋藤昭彦) | 2014年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院 2022 [Available from: https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2014/PA03058_02.
3. 最高裁判所. 東大ルンバール事件(最高裁昭和50年10月24日) 1975 [Available from: https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54204.
4. 最高裁判所. 小樽種痘後後遺障害事件(最高裁平成3年4月19日) 1991 [Available from: https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52724.
5. 最高裁判所. 東京高裁判決(東京高裁平成4年12月18日) 1992 [Available from: https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=20241.
6. Npo法人コンシューマネット・ジャパンサイト. 子宮頸がんワクチン禍訴訟~「それでも受けますか?予防接種」で伝えきれなかたことを白木博次博士の著書から考える~被害者へのバッシングは許されない 2016 [Available from: https://consumernet.jp/?p=3330.
7. 熱性けいれん診療ガイドライン策定委員会, 日本小児神経学会. 熱性けいれん診療ガイドライン. 診断と治療社; 2015. p. p.79.
8. 国立感染症研究所. 日本脳炎ワクチンの歴史と, マウス脳由来ワクチンから組織培養ワクチンへの変更について 2017 [Available from: https://www.niid.go.jp/niid/ja/iasr-sp/2410-related-articles/related-articles-450/7469-450r09.html.
9. 日本疫学会. 疫学 | 疫学用語の基礎知識. 2022.
10. 薗部友良. 特集1 ワクチン療法の最新事情 3.ワクチンの安全性~ワクチンの有害事象と真の副作用~. 医薬ジャーナル. 2013;49(8):1919-24.
11. 重村直子. 臨時 vol 231 「先進国並みの医薬品・ワクチンを使いたいですか?」 2009 [Available from: http://medg.jp/mt/?p=607.
12. 日本醫事新報社. ワクチン副反応の責任に関する規定 2015 [Available from: https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3815.
13. 樋口範雄. 予防接種被害と救済. 続・医療と法を考える 終末期医療ガイドライン: 有斐閣; 2008. p.42.
14. 森戸やすみ, 宮原篤. 副反応が起こったときは補償を受けられる?. 小児科医ママとパパのやさしい予防接種BOOK : 疑問や不安がすっきり!: 内外出版社; 2019. p. 153.