【私見】風の息づかいと予診票

日本の医療機関でも新型コロナウイルスワクチンの接種が始まったと言われていますが、今の所当院にはお声がかかっていません。

回りくどい予診票は何のため?

 ところで皆さんは新型コロナワクチン接種の予診票を見たことがありますでしょうか?
書式はこのようになります。

画像の説明

 見てみるとわかりますが、回りくどく使いづらい問診票です。現在のところワクチンの接種年齢は16歳以上であるのに「被接種者は6歳未満である」という表現もあります。

 しかも「新型コロナウイルス感染症に係る予防接種の実施に係る手引き(第2.0版)」 令和3年2月16日には

予診票の様式は、必ず統一書式を使うこと。

と念を押してあります。

 イギリスやイスラエルの予診状況を見てみると非常にあっさりとしており、日本の予診票がボトルネックになると予想されます。

予診を徹底していれば、副作用は起きない?

 ここまで「石橋を叩いて渡る」のは、過去の裁判が影響しているからだと思われます。1970年に提起された小樽種痘禍事件は、1992年国の事実上敗訴という形で終わりました(22年間!)。

 判例は「予防接種によって重篤な後遺障害が発生した場合,特段の事情が認められない限り,禁忌被接種者は禁忌者に該当していたと推定する」というものです。
http://medicallaw.jp/saihanh3419.html

 つまり、「禁忌者を識別するために必要とされる予診が尽くされたが禁忌者に該当すると認められる事由を発見することができなかったこと」と「被接種者が個人的素因を有していたこと」という少なくとも2つの「特段の事情」を積極的に立証しない限り、接種主体(国、地方自治体、医療者など)が敗訴するという判決なのである。
http://medg.jp/mt/?p=10164

 「予診や問診をしっかりしていれば予防接種事故は避けられたし、国が求めたワクチンならば責任は国にある」という理屈です。しかし、ワクチンが「弱い病気を起こさせて抗体をつけ、それに似た恐ろしい病気を予防する材料」である以上、予診・問診を十分にすれば副作用をゼロに出来るという考えは無理があると、私は思います。ゼロリスク症候群です。

「風の息づかいを感じていれば」

 この件で私は2005年12月25日に起きたJR羽越本線脱線事故を思い出します。突風のため電車が脱線し、5名死亡し32人が重軽傷を負っています。痛ましい事故で関係者は書類送検されたものの、突風の予測は不可能だったということで不起訴になっています。

 とある新聞は12月27日の社説で「この路線を何度も運転している運転士ならば、風の音を聞き、風の息づかいを感じられたはずだ」「五感を鋭敏にして安全を確認するのが、プロの鉄道マンらの仕事というものだ。」と事故は不慮のものではなく運転手の経験不足と書きました。
 案の定ネットでは炎上騒ぎとなりました。この新聞の論説委員なら「風の息づかい」を感じ取れたかもしれませんが、「炎上の息遣い」は感じ取れなかったようです。

 その後その新聞社は「開かれた新聞:委員会から 12、1月度 JR羽越線転覆事故の社説をめぐって」の記事を出しています。事実上の謝罪記事です(一部の内容で更に炎上したようですが)。

 一部を引用します。

◇責任追及優先の精神風土反映、構造分析取り組み未熟--柳田邦男委員(作家)

 日本の精神的風土の中では、事故の構造的原因を技術的・論理的に分析する事故調査と責任者を追及する刑事捜査・行政処分などの過失責任論とが明確に分離されず、責任追及の発想が優先され、科学性をもった構造分析の取り組みが未成熟だ。(略)

 また、社説は「五感を鋭敏にして安全を確認するのが、プロの鉄道マンらの仕事」と指摘している。精神訓話としては耳によく響く言い方だが、あいまいで安全対策にほとんど役に立たない。当事者は、そこから具体的な教訓や対策の手がかりをつかむことができない。

https://web.archive.org/web/20060221110421/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060207ddm012070089000c.html

 この記事が出たのは15年以上前ですが、柳田邦男氏が看破した当時の状況は2021年現在もそれほど変わっていないようです。

無過失補償の充実を

 予防接種接種後に起きた有害事象はすべて予防接種のせいというわけではありません。中には因果関係(原因と結果の関係)を証明することが難しいこともあります。これを裁判で闘うには時間もお金もかかります。小樽での訴訟のように最高裁判例まで22年かかるのは保護者にとっても負担でしょう。

 アメリカでは予防接種の補償について無過失補償制度および免責制度があります。一つは平時における補償制度(National Childhood Vaccine Injury Act, NCVIA)で、この補償を受ける訴訟を起こすか、自ら判断できるものです。こちらの制度の成り立ちについては、「反ワクチン運動の真実: 死に至る選択」に詳しいです(私も少し携わりました)。

 もう一つは公衆衛生上の非常事態と宣言された場合の制度で、製造会社などに対して、故意による不法行為などは除く、あらゆる損害賠償について免責されるものです(Public Readiness and Emergency Preparedness Act, PREP Act)。現在のコロナワクチンもこちらの制度が使われています。
https://www.phe.gov/Preparedness/legal/prepact/Pages/default.aspx

 もちろん全て免責されているから安全性を無視していというわけではなく、多くの欧米系製薬会社のワクチンは安全性と有効性を確認しながら進めています。実例としては、アメリカのトランプ政権下で大統領選挙前にワクチンを承認しようとする政治的圧力にも、製薬会社は屈しませんでした。
https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-09-04/vaccine-makers-plan-public-stance-to-counter-pressure-on-fda

 しかしながら各国でワクチン接種が進んでいるのは、ある程度の免責制度が充実しているからだと思います。日本の予診票に代表される「縛り」が存在し続ける限り、他国のようにワクチンの普及はスムーズには行かないことでしょう。

 日本でも無過失補償・免責制度の拡充をしたほうが、最終的には行政・被接種者・製薬会社の利益にはなると思います。

 なお、日本の現行の予防接種補償制度については、拙書をご覧いただければと思います。
小児科医ママとパパのやさしい予防接種BOOK 疑問や不安がすっきり!